旧称号“日米文化振興会”の設立経緯
〜「文化」の意味とは?〜
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創始者の経歴
(1)戦前
笠井重治先生
(著書『THE NEW US-JAPAN ERA』より)日米文化振興会の創始者である笠井重治先生は1886年7月山梨県に生まれ17歳(1893年)のとき留学のため渡米し、26歳でシカゴ大学政治学科、28歳でハーバード大学を卒業した。
この間シカゴ大学卒業時に当時の排日運動に対抗し米国民の良識に訴えるべく、「太平洋の優越権」と題する演説で最高雄弁賞を獲得し、カーネーギー平和財団及び日本政府より表彰された。帰国後も国際交流に尽力しながらも、国政を志した。
1936年故郷山梨県より衆議院議員に初当選しこれ以降通算3期を務めた。先生は留学の経験を生かし、日米関係が悪化する中、平和のため米国各地で日米開戦を回避する演説等を行うなどの活動を続けた。しかし、こうした活動のため、開戦直後、憲兵隊に拘禁されたこともあった。(2)戦後 先生は、終戦後1947年GHQ渡米許可第1号日本人として渡米し、広範囲に亘る日米友好推進活動を再開した。
さらに先生は、これからの世界においては日米双方がお互いの理解をより深め同盟国として世界に貢献していかなければならないと考えた。
そのためには更なる信頼醸成と相互関係の構築が必須であるとの結論に達し、日米交流事業が必要との観点で1947年(昭和22年2月12日)に日米文化振興会を創立した。
先生はその後一貫して日米交流に尽力し、1976年には 「THE NEW US-JAPAN ERA」 (日米新時代「当時の米国大統領フォードの来日を契機とするイコール・パートナー・シップの始まりを詳細に英文で書かれた唯一の文書」)を書いている。
創立時の「日米文化」という言葉の由来
以上のように、戦前に多くの辛苦をなめた先生は、「日米同盟のためには、単に表層の政治的な話し合いだけでなく、互いの物の考え方や道徳観、宗教観を踏まえた上で外交・政治を語らなければならない。」と考えていたと伝えられている。先生はこうした各要素を含む日米交流事業の為の言葉として「文化」を当会の名称にいたしました。
広辞苑によれば文化(CULTURE)とは人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果、衣食住をはじめ技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式内容とを含む、とされている。
創 立
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1947年(昭和22年)2月12日に創立され、1968年(昭和43年)4月18日に外務省認可第一号の公益法人となりました。